大化以後の対蝦夷政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 23:59 UTC 版)
「日本の古代東北経営」の記事における「大化以後の対蝦夷政策」の解説
斉明天皇元年7月11日(655年8月18日)、難波宮で北(越国)の蝦夷99人、東(陸奥国)の蝦夷95人を饗応、百済の調使150人、柵養蝦夷9人、津刈蝦夷6人が冠位各二階を授けられた。同年に蝦夷と隼人が衆を率いて内属し、天闕に詣って朝献した。 『日本書紀』は斉明天皇4年(658年)4月から同6年(660年)3月にかけて、阿倍比羅夫の日本海沿いの遠征・北航の蝦夷および粛慎を討った記事も伝える。7世紀後半は、文献はとくに蝦夷の反乱などは記録していない。 大化改新後まもなく陸奥国は設置された。文献上では斉明天皇5年(659年)3月に道奥国とみえるのが初見例である。陸奥の初見は天武天皇5年1月25日(676年2月14日)である。
※この「大化以後の対蝦夷政策」の解説は、「日本の古代東北経営」の解説の一部です。
「大化以後の対蝦夷政策」を含む「日本の古代東北経営」の記事については、「日本の古代東北経営」の概要を参照ください。
- 大化以後の対蝦夷政策のページへのリンク