大乗仏教における滅尽定の解釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 06:41 UTC 版)
初期経典の『阿含経』やパーリ・ニカーヤでは、最上位に滅受想定(滅尽定)が存在するとするものの、九次第定で想受滅定が語られる位置に、無相の心定が言及され、この無相の心定とは滅受想定から出定する際の観であると解釈されている。 滅尽定については、異なる複数以上のサンスクリットの漢訳として用いられており、滅受想定と同義の漢訳の他に、ubhaya(to)-bhāga-vimuka からの翻訳がある[信頼性要検証]。 十地経の第七では、「(波羅蜜にある)かの菩薩」なる者が、第六の菩薩の地(くらい)において初めて、「あらゆるまよいの存在が滅尽する定(滅定)」に入定し、第七の菩薩の地において、その定に入定してはまた出定するようになるとする。『入中論』の月称(チャンドラキールティ)の注釈も、十地における滅尽定は第六地から第八地にかけて入定するということであるとしている。ツォンカバの『密意解明』でも同様である。 これら定の名称については、同じサンスクリットが異なる複数以上の漢訳を持つ場合がある一方で、全く異なる意味のサンスクリットが同じ漢語で訳されていることがある(例: 滅尽定)。
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