大久保哲男
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/16 21:39 UTC 版)
大久保哲男 | |
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基本情報 | |
国籍 | ![]() |
生年月日 | 1939年3月14日(86歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会 |
初免許年 | 1960年3月5日 |
免許区分 | 平地・障害 |
騎手引退日 | 1978年1月22日 |
通算勝利 | 1471戦143勝 |
大久保 哲男(おおくぼ てつお、1939年3月14日 - )は、日本の元騎手。
来歴
1960年3月に実父である京都・大久保石松厩舎からデビューし、加賀武見・中西武信・吉岡八郎と同期となる[1]。
同5日の阪神第4競走4歳未勝利・ヒサヒカリ(11頭中5着)で初騎乗を果たし、19日の阪神第8競走5歳以上50万下・センプウで初勝利を挙げる[2]。夏の中京では8月6日・7日に初の2日連続勝利[3]、21日には初の1日2勝[3]を記録するなど7勝[4]を挙げ、初年度から2桁勝利となる14勝[4]をマーク。
3年目の1962年にはウキハシでアラブ大賞典・タマツバキ記念(秋)2着[5]、1963年にはサチトヨで読売カップ(秋)2着[6]に入ったが、1964年には3勝に終わったと同時に2桁勝利が4年連続で止まった[4]。
1965年は7月31日の小倉で挙げた2勝[7] [4]に終わり、同年12月からは関東に移籍[8]。
1966年には1月30日の東京第1競走4歳以上30万下・ロツクトリーで移籍後初勝利[9]を挙げ、夏の北海道で7勝、秋の新潟で5勝を記録するなど[10]3年ぶりの2桁勝利で5年ぶりの15勝[4]をマーク。
1967年にはスイフトライトで9月の札幌オープンでマーチスの2着、10月の福島オープンでタケシバオーの3着であった[11]。
1968年には2年ぶりに15勝をマークしたが、結局15勝を超えた年はなく、同年が最後の2桁勝利となった[4]。
1969年にはスイノオーザで夏の函館戦では2度もタニノムーティエの2着に入り、秋の府中3歳ステークスを勝利[12]。
1969年12月からは再び関西に戻り[13]、1970年は1勝に終わる[4]。
1972年には前年のビクトリアカップ馬タイヨウコトブキに騎乗し[14]、初騎乗の第13回宝塚記念ではベルワイド・メジロアサマの天皇賞馬2頭を抑えてショウフウミドリの2着[15]、高松宮杯では前年秋の天皇賞馬ヤマニンウエーブに先着する2着[16]に入った。
1973年にはエリモロイヤルで毎日杯をホウシュウエイトの4着[17]としたほか、レディコトブキで朝日チャレンジカップではタニノチカラの4着[18]、ビクトリアカップではニットウチドリ・ナスノチグサに次ぐ5着[19]、阪神牝馬特別5着[18]に入った。
1976年にはエリモファーザーで毎日杯を制して自身唯一の重賞勝利[20]を挙げ、スプリングステークスではテンポイント・メジロサガミとの3頭の叩き合いでテンポイントをアタマ差まで追い詰めて3着[21]であった。
1977年には2頭しかいないタイヨウコトブキの初年度産駒[22]エーワンコトブキで連勝したが、6月25日の中京第10競走4歳オープンが最後の勝利となり、同馬に騎乗した1978年の中日新聞杯(13頭中9着)を最後に現役を引退[23]。
騎手成績
通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 |
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計 | 143 | 162 | 153 | 1013 | 1471 | .097 | .231 |
- 主な騎乗馬
- エリモファーザー(1976年毎日杯)
脚注
- ^ “競馬ニホン歳時記 前夜通信社公式 on X: "たぶん取材ができなかったのだろうと思われます。松井厩舎、調教師は松井麻之助さんで明治33年生まれ。日本の陸軍軍人。競馬騎手、調教師の肩書きはあるが、1936年ベルリンオリンピック総合馬術競技の日本代表でもありました。軍籍を離れて1956年から騎手、翌年調教師へ転向。私が調教取材で栗東へ https://t.co/EOsvo29tHn" / X”. x.com. 2024年10月8日閲覧。
- ^ “大久保哲男の近走成績”. netkeiba.com. 2025年7月16日閲覧。
- ^ a b “抽出[通算 1着レース]|大久保哲男の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年7月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g “大久保哲男の年度別成績”. netkeiba.com. 2025年7月16日閲覧。
- ^ “ウキハシ”. netkeiba.com. 2025年7月16日閲覧。
- ^ “サチトヨ”. netkeiba.com. 2025年7月16日閲覧。
- ^ “抽出[]|大久保哲男の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年7月16日閲覧。
- ^ “大久保哲男の近走成績”. netkeiba.com. 2025年7月16日閲覧。
- ^ “大久保哲男の近走成績”. netkeiba.com. 2025年7月16日閲覧。
- ^ “抽出[]|大久保哲男の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年7月16日閲覧。
- ^ “スイフトライト”. netkeiba.com. 2025年7月16日閲覧。
- ^ “スイノオーザ”. netkeiba.com. 2025年7月16日閲覧。
- ^ “大久保哲男の近走成績”. netkeiba.com. 2025年7月16日閲覧。
- ^ “タイヨウコトブキ (Taiyo Kotobuki)”. netkeiba.com. 2025年7月16日閲覧。
- ^ “宝塚記念|1972年6月4日”. netkeiba.com. 2025年7月16日閲覧。
- ^ “高松宮杯|1972年6月25日”. netkeiba.com. 2025年7月16日閲覧。
- ^ “エリモロイヤル”. netkeiba.com. 2025年7月16日閲覧。
- ^ a b “レディコトブキ (Lady Kotobuki)”. netkeiba.com. 2025年7月16日閲覧。
- ^ “ビクトリアカップ|1973年11月18日”. netkeiba.com. 2025年7月16日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|大久保哲男の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年7月16日閲覧。
- ^ “スプリングステークス|1976年3月28日”. netkeiba.com. 2025年7月16日閲覧。
- ^ “タイヨウコトブキの産駒成績|競走馬データ- netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年7月16日閲覧。
- ^ “大久保哲男の近走成績”. netkeiba.com. 2025年7月16日閲覧。
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