大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国時代
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「スルト (リビア)」の記事における「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国時代」の解説
スルトの南20㎞のカスル・アブー・ハーディー(Qasr Abu Hadi)のテントで生まれ、スルトの学校に通ったカッザーフィーが1969年のクーデターにより権力を握ると、カッザーフィーは自らの親族や出身部族のカッザーファ部族から積極的に登用を行ったため、スルトはカッザーフィー政権の強固な支持基盤となった。カッザーフィーの根拠地であると同時にトリポリタニアに属するとはいえ中心からは遠く離れており、リビアを構成するトリポリタニア・キレナイカ・フェザーンの三地方からほぼ等距離にあるため、テント型の巨大な国際会議場ワガドゥグー・コンベンションセンターが建設され、行政機関や全国人民会議(国会に相当)等がこの町に移されるようになった。 1999年9月9日、アフリカ統一機構の首脳会議がスルトで開催され、カッザーフィーからアフリカ連合が提案された。 2007年10月にはダルフール紛争の講和会議がスルトで開催された。 2008年から2009年にかけて、スルトを首都トリポリや第二の都市ベンガジと結ぶ鉄道の建設計画が中国鉄建やロシア鉄道と交わされた。
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