大ヨンシエブ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/18 10:00 UTC 版)
「オトク (モンゴル)」の記事における「大ヨンシエブ」の解説
早い段階でダヤン・ハーンによって分割されたヨンシエブのオトクについて、モンゴル年代記に記載はない。しかし、明朝で編纂された『九辺考』には「ヨンシエブには営が十あった」と記されており、この「営」こそがヨンシエブ’のオトクであったと見られる。 アスト(Asud、阿速)…カフカース地方のオセット人を祖とする集団 ハラチン(Qaračin、哈剌嗔)…キプチャク草原のキプチャク人を祖とする集団 シルスド(Sirsud、舎郎奴)…『アルタン・トプチ (ロブサンダンジン)』はアスト、ハラチン、シルスドの3部を「ホーチン・ハラチン(旧ハラチン)」と呼称する ブリヤート(Buriyad、孛来)…「ヨンシエブのブリヤートのジルグガタイ・メルゲン」がウルス・ボラトをジノンに推戴することを申し出たことが記録されている タンラカル(Tanglakhar、当剌罕児)…「タンラカルのテムル・ハダク」とその妻サイハイがエキノコックスに感染したバト・モンケを保護し癒やしたことが記録されている シバグチン(Shibaghučin、失保嗔)…モンゴル語で「鷹匠」を意味し、元朝時代の「昔宝赤」官に由来する バルグ(Barghu、叭児廒)…本来はバイカル湖湖畔に居住するバルグト族の一派 コンゴタン(Qongγotan、荒花且)…オロナウル部に属するコンゴタン族と関連があると見られる ヌムチン(Nümüčin、奴母嗔)…モンゴル語で「弓手」「弓匠」を意味する タブン・アイマグ(Tabun Aimaγ、塔不乃麻)…元朝時代の「五投下」との関連性が指摘されている
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