ボルジギン氏の支配
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 05:01 UTC 版)
ダヤン・ハーンはダラン・テリグンの戦いの後、自身の息子達を配下の諸部族に分封していったが、かつての「大ヨンシエブ」は「アストとヨンシエブ」と「七オトク・ハラチン」に分けられて、前者をダヤン・ハーンの第八子アル・ボラトが領有し、後者を第三子バルス・ボラトの四男バイスハルが領有した。しかし、アル・ボラトの二人の子供、アジュとシラが仲違いして殺し合ったため、ヨンシエブとアストはバイスハルの末弟ボディダラが領有することとなり、以後ヨンシエブ部はボディダラの子孫に受け継がれた。ボディダラの長子で、ヨンシエブ首長の座を継いだエンケダラ・ダイチン・タイジは明朝よりヨンシエブ・ダイチン・タイジ(永邵卜大成台吉)として知られていた。
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