夜泣き石の伝説とは? わかりやすく解説

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夜泣き石の伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 13:44 UTC 版)

夜泣き石 (小夜の中山)」の記事における「夜泣き石の伝説」の解説

小夜の中山峠は、旧東海道金谷宿日坂宿の間にあり、急峻な坂のつづく難所である。曲亭馬琴の『石言遺響』(文化2年)(1805年によればその昔お石という身重の女が小夜の中山住んでいた。ある日お石がふもとの菊川の里(現・静岡県菊川市菊川)で仕事をして帰る途中中山丸石根元陣痛見舞われ苦しんでいた。そこを通りがかった轟業右衛門という男がしばらく介抱していたのだが、お石が金を持っていることを知ると斬り殺して金を奪い逃げ去ったその時お石傷口から子供生まれた。そばにあった丸石お石の霊が乗り移って夜毎泣いたため、里の者はその石を『夜泣き石』と呼んでおそれた。生まれた子は夜泣き石おかげで近くにある久延寺和尚発見され、音八と名付けられて飴で育てられた。音八は成長すると、大和の国の刀研師弟子となり、すぐに評判の刀研師となった。 そんなある日、音八は客の持ってきた刀を見て「いい刀だが、刃こぼれしているのが実に残念だというと、客は「去る十数年前小夜の中山丸石附近妊婦切り捨てた時に石にあたったのだ」と言ったため、音八はこの客が母の仇と知り名乗りをあげて恨みはらしたということである。 その後、この話を聞き同情した弘法大師空海)が、石に仏号をきざんでいったという。 なお、ほぼ同様な伝説安永2年1773年刊行随筆煙霞綺談」(遠州の人・西村白鳥 著)にも記載されている。

※この「夜泣き石の伝説」の解説は、「夜泣き石 (小夜の中山)」の解説の一部です。
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