多野岳ホーク基地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 05:20 UTC 版)
「羽地陸軍補助施設」の記事における「多野岳ホーク基地」の解説
名護市多野岳は羽地大川や源河川の上流に位置し、名護地域の水源涵養林として、また主産業の一つである薪炭の生産地でもあったが、米軍のミサイルの沖縄配備計画で 1956年に接収された。低高度用迎撃用のホーク・ミサイル基地は沖縄本島と渡嘉敷島に8ヶ所あったが、そのうちの一つが多野岳サイトである。また東側に山を下ると辺野古弾薬庫がある。 ホーク・ミサイル 備考 1 ボロー・ポイント射撃場 (読谷陸軍補助施設) 返還 2 知花サイト 陸自 白川分屯地に移管 3 西原第二陸軍補助施設 (ホワイト・ビーチ地区) 陸自 勝連分屯地に移管 4 多野岳サイト 返還 5 与座岳サイト 陸自 南与座分屯地に移管 6 知念第一サイト 陸自 知念分屯地 に移管 7 渡嘉敷陸軍補助施設 返還 国立沖縄青少年交流の家 1969年、多野岳サイトは防空ミサイル計画の再編成で遊休化 1973年、沖縄返還協定C表で全面返還が決定された 。
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