外国人居留地における競馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 13:57 UTC 版)
「競馬の歴史 (日本)」の記事における「外国人居留地における競馬」の解説
「居留地競馬」および「神戸居留地競馬」も参照 江戸時代末期、アメリカ合衆国の圧力によって鎖国が解かれ横浜に外国人居留地が設けられた。そこで行われた競馬(居留地競馬)が日本最古の洋式競馬とされる。現在資料によって確認可能な最古の居留地競馬は、1860年(万延元年)に現在の横浜市中区元町において行われた競馬である。翌1861年(文久元年)には居留地内の海岸(横浜州干弁天社裏西、現在の横浜市中区相生町五丁目および六丁目)を埋め立てて造成した土地馬場が建設され、居留外国人が洋式競馬を行った。1862年(文久2年)には仮設ではあるが日本初の洋式競馬場である横浜新田競馬場が作られ、競馬施行体横浜レース・クラブの前身となるヨコハマ・レース・コミッティが居留外国人によって組織され、1866年(慶応2年)に江戸幕府が常設の競馬場としては初の横浜競馬場(根岸競馬場)を建設して以降は同競馬場において盛んに洋式競馬が行われた。この競馬は治外法権に基づいており、幕府や明治政府による賭博の禁止の影響を受けることなく馬券が発売された。ちなみに神戸居留地の近くにも競馬場が作られたが、こちらは数年で廃止となっている。
※この「外国人居留地における競馬」の解説は、「競馬の歴史 (日本)」の解説の一部です。
「外国人居留地における競馬」を含む「競馬の歴史 (日本)」の記事については、「競馬の歴史 (日本)」の概要を参照ください。
- 外国人居留地における競馬のページへのリンク