外国での紹介・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 06:31 UTC 版)
「レオニド・アンドレーエフ」の記事における「外国での紹介・評価」の解説
日本では1906年に『旅行』を上田敏が翻訳したのを皮切りに、1908年に二葉亭四迷が『血笑記』を翻訳、1909年になって、昇曙夢などの翻訳家・ロシア文学者たちの手により、多くの作品が翻訳された。日本滞在中の中国の文学者魯迅も翻訳小説集『域外小説集』に三篇のアンドレーエフの小説を収録した。夏目漱石も小宮豊隆と独訳本でアンドレーエフの小説の購読を行い、小説『それから』で主人公にアンドレーエフの『七刑人』を読書する場面を描いた。日本文学とくに大正期の文学にあたえた影響は大きく、志賀直哉作品にも影響をあたえたといわれる。
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