夏帽子頭の中に崖ありて
作 者 |
|
季 語 |
|
季 節 |
夏 |
出 典 |
|
前 書 |
|
評 言 |
車谷長吉は『赤目四十八瀧心中未遂』や『鹽壺の匙』などで有名な小説家である。一時小説を断念し、社会のどん底をうごめいた経験を持つ最近では珍しい無頼の作家だ。また、その少々奇矯な言動でも話題になりがちの人物である。その車谷は小説のほかに俳句も作る。句集も発行している。どうやら小説で加熱した頭を冷やすために俳句を作っているのではないか、彼の小説が提示しているきわめて独自な世界と同じようなことを俳句で描こうとは考えていないのだろう、というのがその句集を読んだ第一印象だった。 ところが、実は俳句も彼にとっては「私」文学であり、「狂気」であって「救い」でもあることに次第に気付かされた。それが一見クールダウンのための文人俳句的な作品に見えてしまうのは、俳句が持つ紛れもない私性のゆえではないか、とも思うのだった。そこに詠まれるものが、「私」以外のなにものでもない俳句であるからこそ、車谷はそこに小説執筆とは異なるやすらぎを感じつつ「私」とは何かを詠っているのかもしれない。 掲句はそんな中にあった一句。あっさりと通り過ぎそうな句でありながら、よく見ると異様な句であるのに気付く。夏帽子を被った頭の中に「崖」があるというのだ。頭の中の崖とは何だろう。作者は日常の中に潜む「狂気」、「たとえ」ではなく文字どおりの「狂気」に常に関心を持ち続けているために、自分の頭の中に暗黒の奈落を見ているのだ。いつそこに身を投げるこ とになるのかと、常に不安に戦いているのである。奈落の底はグツグツと沸騰している。夏帽子を被っても、どうしようもない灼熱を自らの心に抱えている。業の作家ならではの一句だ。 |
評 者 |
|
備 考 |
- 夏帽子頭の中に崖ありてのページへのリンク