塩竈の名産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/28 22:56 UTC 版)
浅みどり昆布は越後屋が創始したと言えるが、花昆布は越後屋が創始したものではない。地元には花昆布を作る者が4、5人おり、後に彼らが作ったものも「浅みどり」と称することが許された。とはいえ一般には浅みどり昆布は越後屋のものと認識されていた。 浅みどり昆布は仙台から塩竈、松島あたりを旅行した人々の紀行文に記された。天明8年(1788年)に幕府巡検使の従者となった古河古松軒は、『東遊雑記』に武者小路黄門卿(黄門は中納言の唐名)の歌が袋に書かれた浅緑という茶と、美しく彩りいろいろの花の形に作った昆布をすすめられたと記した。長久保玄珠の『東奥紀行』も浅緑について記す。 江戸時代の塩竈の名産としては、浅みどり昆布のほかに、唐飴、南京糖、十団子、藻塩が知られる。藻塩焼きは塩竈の歌枕としての側面と不可分で知名度抜群だったが、この時代には塩竈での製塩は衰え、鹽竈神社で神事として焼かれるほかは細々と生産されるだけだった。唐飴と南京糖は越後屋の菓子である。さらに江戸時代には塩釜が知られていないので、旅行者が接する塩竈名物の食べ物は、浅みどり昆布が第一だったと言ってよい。
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