塩竈の十団子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 14:53 UTC 版)
現在の宮城県塩竈市では、名物菓子の一つに十団子があって、藤団子(とうだんご)、五彩あられ、五色あられとも呼ばれた。 往古、塩竈神に従って塩焼きの釜を引いた牛の鼻の孔に通した藤の蔓から花が咲いたことにちなみ、紐を通した団子を厄除けとして配ったものが、藤団子だといういわれがある。起源は文久の頃といわれる。 諸書にあられもちと書かれるが、駄菓子研究家の石橋幸作が伝える製法によれば、もち米を原料にしながらも、それが膨らまないように処理するので、団子と言ってよいのだろう。赤・緑・黄・紫・白の鮮やかな五色は後から塗って付けたもので、39粒を赤い糸で連ねて一続きとした。食用ではなく、子供の玩具にしたという。 江戸時代から明治時代にかけて、塩竈の名物菓子であった。『安永風土記書出』に、塩竈の産物として浅みどり昆布、南京糖とともに十団子がある。「仙台よしこの節」という民謡には塩釜名物として「赤坂のとう団子」が唄われた。赤坂は塩釜街道(今の宮城県道35号泉塩釜線)で南から塩竈に入るとき町の入口にあたる所である。ただし、『奥塩地名集』では塩竈の名産に浅みどり昆布、南京糖、唐飴を挙げて十団子には触れない。 作られなくなった時期は不明である。
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