塩水用暗渠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/25 14:45 UTC 版)
「アル=ケ=スナンの王立製塩所」の記事における「塩水用暗渠」の解説
サラン=レ=バンの井戸から « petites eaux » を製塩所に引き入れるために、導管が作られた。これはフュリウーズやルーの道筋に沿って 21 km にわたって続く、もみの木で出来た運河であった。これは時間の経過による劣化や凍結、盗難などの対策として、地下に埋設されていた。さらに、より安全を保つために暗渠に沿って10箇所に守衛の詰め所が置かれていた。これは同時にいわば「塩税吏の道」を形成するもので、詰め所ごとに塩水の流量と濃度が測定され、結果は土曜日ごとに製塩所に送られた。塩税吏たちは「偽塩商人」と揶揄されていた盗人たちにも対応する必要があった。彼らは塩を盗むために暗渠に穴を開けたりしていたのである。 暗渠には高低差 143 m の傾斜が付けられていた。材料のもみの幹は中心が刳り貫かれており、はめ込みやすいように鉛筆状に先が尖らせてあった。はめ込みに際しては鉄の輪が併用され、しっかりとつながれていた。材料にもみが選ばれたのは、胴回りの太さと中心部が相対的に柔らかいことによる。こうして中心を刳り貫かれたもみは« bourneaux » と呼ばれていた。 絶えず工事が行われていたにもかかわらず、たくさんの割れ目が存在し、多くの塩水が流失した。その量はおよそ 30 % にのぼったと見積もられている。つまり、毎日 135,000 L の塩水がサランから送られていたが、その無視できない量が失われていたのである。1788年からは暗渠は木製から鋳鉄製に替えられた。今日でも、サラン方面から数えて2番目の詰め所であるプティット・ショーミエールは存在している。
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