塚本幸一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/12 13:20 UTC 版)
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つかもと こういち 塚本 幸一 | |
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生誕 |
1920年9月17日 宮城県仙台市 |
死没 | 1998年6月10日(77歳没) |
国籍 |
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出身校 | 滋賀県立八幡商業学校(現滋賀県立八幡商業高等学校) |
職業 | 実業家 |
肩書き |
ワコール社長 日本会議会長 |
子供 | 塚本能交 |
受賞 | 勲二等瑞宝章 |
塚本 幸一(つかもと こういち、1920年9月17日 - 1998年6月10日)は日本の実業家。ワコール創業者。日本会議初代会長。
略歴
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- 1920年(大正9年) - 繊維問屋を営む父・粂次郎、母・信の長男として、宮城県仙台市に生まれた。両親は近江商人の中でも名門として知られた[1]。
- 1938年(昭和13年) - 滋賀県立八幡商業学校(現滋賀県立八幡商業高等学校)卒業。兵役まで家業を手伝う。
- 1944年(昭和19年) - インパール作戦に従軍。
- 1946年(昭和21年) - 復員当日、創業。和江商事(ワコールの前身)創設。アクセサリー販売を行う。
- 1949年(昭和24年) - 京都百貨見本市でブラジャーを出品。和江商事株式会社設立。代表取締役社長に就任。
- 1951年(昭和26年) - 京都の縫製業者、木原工場と和江商事を合併。専務に就任。
- 1952年(昭和27年) - 再び社長に就任。
- 1957年(昭和32年) - 社名をワコールへ変更。
- 1964年(昭和39年) - ワコール株式上場。
- 1983年(昭和58年) - 京都商工会議所会頭就任。
- 1985年(昭和60年) - 米国や中国など海外進出を拡大[2]。
- 1987年(昭和62年) - ワコール社長を退任。
- 1990年(平成2年) - 勲二等瑞宝章受章
- 1997年(平成9年) - 日本会議初代会長に就任。
エピソード
TVドラマ『西部警察』、日本全国縦断ロケ、PART-III第49話「京都・幻の女殺人事件-京都篇-」において本人役で出演している。
脚注
- ^ “名経営者の知恵に学ぶ~塚本幸一編~”. みずほ銀行 (2023年11月1日). 2024年2月6日閲覧。
- ^ 海外進出の拡大(2) | 1980's 拡大化戦略 | ワコールの歴史 | ワコールホールディングス
参考文献
- 塚本幸一『私の履歴書』日本経済新聞社 1991年1月25日 ISBN 4532160030
関連項目
外部リンク
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塚本 幸一(つかもと こういち)
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「六本木サディスティックナイト」の記事における「塚本 幸一(つかもと こういち)」の解説
六本木署の刑事。ことあるごとに主人公の行動を怪しみ、任意同行を要求したり事情聴取をしようとする。また、主人公の姉のことを知っており、彼女を探している人物のうちの一人。正義感というよりもどこか裏の顔を匂わせる。主人公やNightJewelにとっては事件現場で出会いたくない相手。
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固有名詞の分類
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