堀内の垂れ込み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/23 02:15 UTC 版)
「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」の記事における「堀内の垂れ込み」の解説
昭和32年(1957年)、昭和日報の矢代の元へ、堀内と名乗る男から手紙が届く。それによれば、北海道から上京して國原鋼材という会社に勤務した彼は、あの7月5日に駆り出されて、日本橋の三越で下山総裁の誘拐に関与させられたという。事後、憲兵(MP)に銃で脅され、台湾に連行されると聞かされた堀内は夜に脱走し、各地を隠れて転々と移りながら疲れ果て、麻薬患者となって、死ぬ間際に矢代に告白の手紙を書いたのだ。 國原鋼材を訪ねた矢代記者と大島刑事は、そこがかつてヌカ油の捜査で来た工場だったと気づく。ここは、かつて小さな町工場だったが、今は大工場になっていた。あのときの米軍が山中の戦闘で使うピアノ線は朝鮮戦争の戦争準備だったことに感づく。下山総裁を誘拐した4人の男がここで働いていたとすれば、単なる偶然ではないだろう。堀内の手がかりはなかったが、その会社には謎の男・唐沢(大滝秀治)が出入りしていた。大島によると、唐沢は米軍の工作員として戦後の日本で暗躍し、警察の取調べを受けるも、米軍によって釈放させられた謀略家であるらしい。 矢代と大島は、堀内の消息を求めて北海道を訪ね回るが、行方はまったく判らなかった。ある宿屋でくつろいでいると、見知らぬ男から仲居を通じて「お前たちもいつか抹殺される」という脅迫状が届く。何者が彼らを脅すのか、まったく不明。矢代は、糸賀、彼を駅で突き落とした男、國原鋼材で覗いていた男、唐沢らを思い浮かべる。 大島は下村がヌカ油か染料のある場所に監禁されていて、替玉が旅館に向かったと推理する。
※この「堀内の垂れ込み」の解説は、「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」の解説の一部です。
「堀内の垂れ込み」を含む「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」の記事については、「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」の概要を参照ください。
- 堀内の垂れ込みのページへのリンク