埴輪の世より鹿は瀬越の空好む
作 者 |
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季 語 |
鹿 |
季 節 |
秋 |
出 典 |
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前 書 |
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評 言 |
この句は堀葦男先生が平成4年秋、一粒伯耆大山吟行に参加をされたときの作品である。その翌年の4月に鬼籍に入られたから、先生にとってはおそらく最後の吟行作品と言ってもいいだろう。私もこの吟行には参加したが、いつもながらの元気の良い、酒のうまい旅であった。 旅は山陰の淀江廃寺跡、大山寺などであったが、中でも場所は忘れたが古墳時代の遺跡の展示物にあった鹿の姿は印象深かった。上半身だけ残した雄鹿が首を曲げて背後を振り返るという珍しい姿である。しかもそのつぶらな瞳の愛らしさ。目は単にへらでくり抜いた穴にしかすぎないが、その闇に貫いた漆黒の眼には鹿が眺めたその当時の空が残っていた。抜けるような秋空である。 背越しの空と背景の空間を的確にとらえた先生の観察眼には脱帽した。何千かの時間を超えてこの鹿はよみがえったのだ。鹿の腰あたりにぽっかり空いた空洞も苦にならない。それにしては爽やかな句である。あの黒を主題としたいくつかの作品で、前衛俳句の闘将と一目置かれた堀先生とはおよそかけ離れた、穏和でそれでいて広がりの大きな句ではないか。 先生が前衛句で活躍された時代を知らない私にはこの句には大いに惹かれるものがあった。私の詠史句への憧憬の原因も、あるいはこの句にあるかも知れないと思っている。 もう一つ、同じ場所での作品も捨てがたい。 古代の秋身近か馬鈴のかわゆくて 葦男 句に対する人の思いはそれぞれで、解釈もまた多様である。黒の時代はさておいて人間の過去をこよなく愛された先生の思いは、これらの句を通じて、新たな堀葦男像を構築するのではないだろうか。 |
評 者 |
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備 考 |
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