城の配置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/29 02:28 UTC 版)
「ソロヴェツキー修道院」の記事における「城の配置」の解説
「ソロヴェツキー諸島の文化と歴史遺産群」はソロヴェツキー諸島のブラゴポルーチヤ湾(ロシア語:бухта Благополучия)沿いに位置している。ソロヴェツキー修道院の領地は、7つの門と8つの塔(1584年から1594年にかけて、Trifonと呼ばれる建築家によって建てられた)を伴った高さ8-11m、厚さ4-6mの巨大な壁によって囲まれ、それらは主に長さ5mの巨石から成っている。修道院内には宗教的な建物もあり(主要な物は屋根付きの湾曲した通路によってお互いに連絡している)、それらは複合的な住居や居住区によって囲まれている。生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー大聖堂、1552年 - 1557年築)に付随する食堂(500m²)や、救世主顕栄大聖堂(プレオブラジェンスキー大聖堂、1556年 - 1564年築)、生神女福音大聖堂(ブラゴヴェシェンスキー大聖堂、1596年 – 1601年)、stone chambers(1615年)、水車小屋(17世紀初頭のもの)、鐘楼(1777年)、ニコライ聖堂(1834年)などがその例である。 今日では、ソロヴェツキー修道院は歴史および建築史の博物館としての役割を負っている。ロシア国内で最も早くユネスコの世界遺産に登録された建造物でもある。修道院では修道士たちが正教徒としての生活を復興しつつあり、現在約10名の修道士達が修道院で暮らしている。ソ連崩壊以来、修道院は修復・補強されており、現在もそれは続いている。2002年8月末には古儀式派の教会の代表者らの請願により、 17世紀の籠城戦において修道士が処刑されたバビヤ・ルダ(Бабья Луда)島に、彼らを追悼する6メートルに及ぶ十字架がイオシフ掌院の祝福と共に設置された。
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