地理上の概念としてのガリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 08:27 UTC 版)
「ガリア」の記事における「地理上の概念としてのガリア」の解説
地理上の概念としての「ガリア」の起源は、紀元前4世紀にさかのぼる。イタリア半島北部に押し寄せて定住した部族集団を、ローマ人は「ガリア人」(Galli ガッリー)と呼び、ガリア人の居住するイタリア半島北部が「ガリア」(Gallia ガッリア)と呼ばれるようになったのが始まりである。ローマ人が領土を拡大するにつれ、ガリア人と同系統の諸部族がアルプス山脈の西方・北方にも多数住んでいることが知られるようになり、それらの地域も「ガリア」に含まれるようになっていった。やがてイタリア半島北部は、ローマに制圧され属州となった。 イタリア半島北部は、ガリア・キサルピナ(Gallia Cisalpina キサルピーナ、アルプスのこちら側のガリア)またはガリア・キテリオル(Gallia Citerior、こちら側のガリア)と呼ばれた。ローマ化が進んだ後はガリア・トガタ(Gallia Togata トガータ、トーガを着た=「純ローマの」ガリア)とも呼ばれた。この地域は、ローマ帝政初期には本土「イタリア」に編入されて、「ガリア」から除外されるようになった。 これに対して、アルプスの西側・北側のガリアはガリア・トランサルピナ(Gallia Transalpina トゥラーンサルピーナ、アルプスの向こう側のガリア)またはガリア・ウルテリオル(Gallia Ulterior、向こう側のガリア)と呼ばれた。この「ガリア」は、共和制末期から帝政期にかけては、おおよそピレネー山脈・地中海・アルプス山脈・ライン川・大西洋に囲まれた地域を指し、その大半は森林地帯であった。現在「ガリア」と呼ばれるのは、この地域であることが多い。狭義には「ガリア・トランサルピナ」はガリア戦争以前にローマの属州であったフランス南部を指す。それより北方のローマ化していなかった地域は、ガリア人の長髪の習慣からガリア・コマタ(Gallia Comata コマータ、長髪のガリア)と呼ばれていた。
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