地すべり災害による一部廃道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/24 13:54 UTC 版)
「戸隠バードライン」の記事における「地すべり災害による一部廃道」の解説
1985年(昭和60年)7月、長野市の地附山(じづきやま)地すべり災害により、始点である長野市上松から地附山を登る区間が流失し、不通となった。長野県は、この災害による不通区間の復活を断念し、迂回路がなく不通区間につながっていた大峰山から地附山の区間を廃道した(復活断念に至った理由については不明)。 不通区間を迂回する暫定的なルートとして、長野市道大座法師池西高線が使用された。しかしこのルートには、通称:七曲り(ななまがり)と呼ばれるヘアピンカーブの連続区間があり、路線バスを除く大型車の通行ができなかった。そのため長野県は、オリンピックの開催に合わせ、ここより少し北に位置する長野県道506号戸隠高原浅川線の改修を進め、浅川ループラインを開通させた。これを新しく飯綱高原へのアクセス道路として現在に至っている。 なお、地附山地すべり災害に関して、これに巻き込まれ亡くなった遺族が起こした裁判で、1997年6月、長野地方裁判所は「戸隠有料道路の管理の瑕疵(かし)が地すべりの原因になった」という判決を下した。そして災害から20年にあたる2005年7月、田中康夫長野県知事(当時)は、県と市に責任があったことを認め、謝罪した。
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