土崎版の刊行
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1921年(大正10年)2月、後に「土崎版」と称されることになる雑誌『種蒔く人』が創刊された。『種蒔く人』の題名は小牧が金子に相談の上で決定し、金子のアイディアで表紙にジャン=フランソワ・ミレーの『種まく人』があしらわれた。また、題字の左には「自分は農夫の中の農夫だ。農夫の綱領は労働である」というミレーの言葉を掲げたが、これも金子の案である。 定価は20銭で創刊号で200部を発行した。小牧らの故郷土崎港町で印刷が行われたことから、のちの「東京版」と区別する上で「土崎版」と称されるが、編集作業は東京で行われた。発行にあたる費用は全て小牧が負担しており、編集兼発行人は小牧近江の本名である近江谷駉名義で、発行所は小牧の自宅に置いた「種蒔き社」名義であった。 この「土崎版」『種蒔く人』は3号を発行したところで当局により新聞紙法に基づく保証金500円の納入を迫られ、休刊を余儀なくされてしまう。全3号いずれも菊判18頁の小規模な同人冊子であったが、第2号で小牧が執筆した「第三インターナショナルと議會攻略」は、日本に初めて第三インターナショナル(コミンテルン)の活動を紹介したものであり、外務省でさえその活動実態を正確に把握していなかった頃に、その思想を紹介し論評を加えたことは「土崎版」の大きな意義である。
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