国際的な舞台へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/10 08:55 UTC 版)
「エルメート・パスコアール」の記事における「国際的な舞台へ」の解説
1970年、ついにエルメートはアイアート・モレイラの招きによってアメリカに渡り、マイルス・デイヴィスとの接触を果たす。マイルスは彼にいくつかの編曲を依頼し、さらには自身のアルバム『ライヴ・イヴル』の録音への参加を要請する。エルメートはこのアルバムに、2つのオリジナル曲を提供している。この時、マイルスがアルバムに収録したかったエルメートの楽曲の多くは、最終的にエルメート自身のファースト・ソロ・アルバム『エルメート』(のちに『ブラジリアン・アドベンチャー』の名でCD化)に収録されることとなる。 エルメートは1973年にブラジルに戻り、アルバム『ア・ムジカ・リヴリ・ジ・エルメート・パスコアール』を制作する。1976年には再び渡米し、動物の鳴き声を楽曲に取り入れたアルバム『スレイヴズ・マス』を完成させる。旺盛な作曲活動のかたわら、彼は1978年にはサンパウロ・ジャズフェスティバル、翌年にはモントルー・ジャズフェスティバルに招かれ、名実共にアヴァンギャルド・ジャズの第一人者として認知される(モントルーでの公演は、アルバム『ライヴ・イン・モントルー・ジャズ・フェスティヴァル』にて聴くことができる)。その後東京ジャズフェスティバルにも登場を果たし、この公演も圧倒的な成功を収める。翌1980年に『脳内革命』を発表、批評家からの熱狂的な賛辞を受ける。この頃、大規模なヨーロッパ・ツアーを敢行する。
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