ローザの遺したもの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/14 01:58 UTC 版)
「カール・ローザ」の記事における「ローザの遺したもの」の解説
ローザは1889年4月30日にパリで急死し、亡骸はロンドンのハイゲイト墓地 (Highgate Cemetery) に埋葬された。その葬儀に多数の主だった音楽家たちが集まったことは、ローザがイングランドの音楽界において占めていた地位を象徴するものとなった。参列者には、サリヴァン、スタンフォード、マッケンジーに、ジョージ・グローヴ、さらにはリチャード・ドイリー・カート、ジョージ・エドワーズ (George Edwardes) 、オーガスタス・ハリスらも含まれていた ローザはその最期まで、英語オペラの興行が芸術的にも商業的にも成功することを示してみせた。ローザを追悼する講演を行った批評家ハーマン・クラインは、ローザについて、「芸術的観点からみて彼の業績は大成功に次ぐ大成功であった。ローザは、1875年には絶望の沼に沈んでいた英語オペラを見出し、そこから高みへと引き上げた」と述べている。生前も没後も、ローザの歌劇団はイングランドにおけるオペラの普及に大きく貢献し、国内の作曲家の創作を応援し、数多くの歌手を育てて国際的な舞台へと送り出している。ローザの没後も、彼の歌劇団は1960年まで存続した。その後、中断を挟み、ピーター・マロイ (Peter Mulloy) を芸術監督とする同名の新しい歌劇団が1997年に復活した。この歌劇団は、グランド・オペラのほか、ギルバートとサリヴァンの作品や、その他の軽歌劇にも取り組んでいる。
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