国立音楽学院
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「パリ国立高等音楽・舞踊学校」の記事における「国立音楽学院」の解説
フランス革命真っ只中の1792年、革命政府の手によって、このルイ王家の王立声楽・朗読学校に、市民のための音楽学校が合併され、国立音楽学院 (l'Institut national de musique) へと改編された。国民公会の指名によってフランソワ=ジョセフ・ゴセックを院長とし、運営に国家予算を割り当てられた。この統合は成功し、音楽家の養成に弾みがついた。軍楽隊養成学校として設置されたこの機関は、共和国の祭典等における奏楽等の公務にあたる音楽家の教育を目的としていた。1784 年にパリ9区に創設され、オペラ座や宮廷音楽家を育てた王立歌唱学校(École royale de chant)とこの国立音楽院の2校は1795年に廃止されると同時に音楽院(Conservatoire de musique)という一つの機関に統合され、国家主導で設置された最初の国民音楽教育機関となり、以後、大文字で始まる音楽のコンセルヴァトワールはパリ音楽院を指す固有名詞となる。コンセルヴァトワールは「保存する」という意味の動詞 « conserver » を語源とする。
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