国営飛行場として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:08 UTC 版)
1936年(昭和11年)10月1日に富山飛行場及び同飛行場就航路線は逓信省の移管に移された。逓信省へ移管の後も公共用飛行場として旅客、貨物及び郵便物の航空輸送事業は継続されていたが、支那事変勃発によって1937年(昭和12年)7月14日に輸送機として使用されていたフォッカー・スーパー・ユニバーサル機が陸軍に徴用されたため、旅客輸送は暫時中止された。 この休止中に富山飛行場就航路線は、東京 - 富山 - 大阪間に変更され、1938年(昭和13年)5月15日からはこの路線によって航空輸送を再開した。同路線は同年10月1日より愛国金沢飛行場及び愛国長野飛行場の開業予定により、大阪 - 金沢 - 富山 - 長野間に変更され、同時に東京 - 新潟間の既設航空路線に長野が追加された。このように航空路線は漸次拡大をみたが、1940年(昭和15年)4月1日より富山飛行場は拡張工事のため使用禁止となり、同年10月1日に大阪 - 長野間を含む国内ローカル航空路線は全く廃止された。
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