国包駅とは? わかりやすく解説

国包駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/02 15:52 UTC 版)

国包駅
駅舎(2006年3月)
(※2009年6月時点で解体済み)
くにかね
Kunikane
厄神 (1.0 km)
(0.5 km) 宗佐
左は厄神駅(※JR加古川線接続駅)
所在地 兵庫県加古川市上荘町国包202
所属事業者 三木鉄道
所属路線 三木線
キロ程 1.0 km(厄神起点)
電報略号 カネ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1916年大正5年)11月22日[1]
廃止年月日 2008年平成20年)4月1日
備考 路線廃止により廃駅
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国包駅(くにかねえき)は、兵庫県加古川市上荘町国包(くにかね)にあった三木鉄道三木線廃駅)である。

歴史

当駅開業前にも、現在の厄神駅が初代「国包駅」を名乗っていたが、当駅開業時に初代国包駅は厄神駅に改称された[2]

駅構造

単式ホーム1面1線のみを有する地上駅。線路はほぼ東西に走り、ホームは線路の北側にある。無人駅であった。

駅舎はホームに接して設けられており、待合所やトイレ汲取式)などが小さくまとめられた簡単なものとなっていた。この駅舎は鉄筋コンクリート造り1階建て、18平方メートルの建物で、大阪鉄道管理局の建築課によって設計された。昭和50年代から全国の無人駅には同様の駅舎が多数設置されているが、1976年(昭和51年)に建てられた当駅のものはその最初であり、無人駅における簡易な駅舎の設置の嚆矢となったとも言えるものである(当時はカプセル駅と呼ばれた)。駅舎の内部には椅子などが設けられていた。その他、駅の外部の駅舎脇には公衆電話が設置されていた。なお、駅舎内に設置されていたトイレは入口の前に木が生えて使用不能となり、閉鎖された。2009年(平成21年)6月 に駅舎が解体された。

駅周辺

国包の集落は駅から西側に広がっており、国包郵便局加古川市立八幡小学校などがある。国包は加古川上流より流された木材の集散場所であったことから建具作りが大変盛んな土地である。この建具作りは江戸時代から続く伝統産業である[5]

駅のすぐ東側の踏切では三木線の線路を兵庫県道20号加古川三田線が越えている。駅から北へ300メートルほど歩くと突き当たるのが加古川である。

バス路線

隣の駅

三木鉄道
三木線
厄神駅 - 国包駅 - 宗佐駅

脚注

  1. ^ a b c d e 石野 1998, p. 243.
  2. ^ 石野 1998, p. 239.
  3. ^ 「通報 ●三木線国包駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1973年10月1日、9面。
  4. ^ 「加古川線などの営近を実施 大鉄」『交通新聞』交通協力会、1973年10月2日、1面。
  5. ^ 加古川の伝統産業”. 加古川市. 2023年6月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月20日閲覧。

参考文献

  • 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日。ISBN 978-4-533-02980-6 

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