国内での戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 05:13 UTC 版)
「ペドロ3世 (アラゴン王)」の記事における「国内での戦争」の解説
ウルジェイ郡(英語版)では土地継承に関する問題が起こっていた。1268年にウルジェイ伯アルバロ(英語版)が死去した際、彼の2人の妻の出身家(ベアルン伯ペドロ・ムンカーダ、フォア伯ルジェ=ベルナルド2世)が相続に対する長い戦いを開始した。ウルジェイ郡のかなりの土地は父王ハイメ1世が差し押さえており、1276年の戴冠時にペドロに継承されている。1278年にはウルジェイ伯アルバロの長男であるアルマンゴル10世がペドロ3世と協定を結び、失っていた土地のほとんどを回復し、その対価としてアルマンゴル10世はペドロ3世を領主として認識した。 ペドロ3世のアラゴン王としての初任務は、父王の生前から続けられていたバレンシア領土の鎮圧だった。しかし、カルドナ子爵が主導した反乱がカタルーニャでも起こり、フォア伯ルジェ=ベルナルド3世、パリャルス・スビラー伯アルノルド・ルジェ1世、ウルジェイ伯アルマンゴル10世がこの反乱を扇動した。父王は彼らとの商取引を盛んに行ったが、ペドロ3世は彼らの特権を承認しなかったため、抵抗勢力はペドロ3世への憎しみを募らせていき、彼らは「議会」を招集しないことでペドロ3世に反抗していた。1280年にはバラゲールを1か月間包囲し、ルジェ=ベルナルド3世が率いる反乱軍を破った。反乱の指導者の大半は1281年までリェイダで投獄されたが、ルジェ=ベルナルド3世は1284年まで投獄されている。
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