器楽曲としての歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 20:02 UTC 版)
メヌエットが、宮廷での実際的な舞踏を目的としないメヌエットとして扱われた最初の例は、オペラに現れるメヌエットであった。フランスのリュリは90を超えるメヌエットを劇場での作品群に組み込んだ。 バロック時代において、独立した器楽曲として作曲されることが多くなった他に、組曲に含まれる1曲として数多く作曲された。バロック組曲は、様々な種類の舞踏を組み合わせることで全体に多様性を生み出す効果を狙ったものが定着していたことから、おのずと舞踏の一種としてメヌエットがその定番として組曲に組み込まれた。例えば、バッハやヘンデルの組曲の中に、メヌエットの楽章を見出すことができる。 18世紀後半には、主にソナタ形式の複数楽章形式の楽曲の中間楽章として、しばしばメヌエットの楽章が好まれるようになっていった。ハイドンによるおびただしい数のソナタ形式の作品の中からその例を見つけることが容易であるが、後のモーツァルトやベートーヴェンのソナタ形式の作品においても、メヌエットの楽章を見つけることは同様に容易である。 但し、ベートーヴェンのソナタ形式の作品では、メヌエットから後にスケルツォが好まれるように変遷しており、それによってメヌエット楽章のないソナタ形式の作品が多くなっていった。ベートーヴェンのメヌエットでは、メヌエットとしてのテンポから大幅に逸脱した非常に速い速度の指示も見られるが、それはベートーヴェンの個人的な趣向による、組曲としてのソナタが変遷していっただけであり、メヌエットが変わっていったわけではない。故に、それらを標準的なメヌエットに加えるべきではない。スケルツォ的な例外的メヌエットとして、交響曲第1番 (ベートーヴェン)、交響曲第8番のメヌエットがある。
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