喜多武清とは? わかりやすく解説

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喜多武清

読み方きた ぶせい

江戸後期浮世絵師江戸生。字は子慎、通称栄之助、号は可庵・五清堂・一柳斎・翁等。谷文晁門人狩野探幽画風慕い一家成した人物花鳥画能くし、読本等の挿絵も描く。また古画鑑定臨模行なった安政3年1856)歿、81才。

喜多武清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/29 09:54 UTC 版)

喜多 武清(きた ぶせい、安永5年(1776年) - 安政3年12月20日1857年1月15日))は江戸時代後期の南画家


  1. ^ 息子の武一が「武清縮図」を基に『可庵画叢』を上梓した。
  2. ^ 森銑三「渡辺崋山」
  3. ^ 曲亭馬琴『近世物之本江戸作者部類』天保5年
  4. ^ 小宮山楓軒『懐宝日札』文化9年(1812年)
  5. ^ 府中市美術館編集・発行 『三都画家くらべ 京、大坂をみて江戸を知る』 2012年3月17日、p.61。


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