和田春樹との交流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 22:49 UTC 版)
黄長燁は、和田春樹が『思想』(1990年9月号)に朝鮮戦争に関する論文を発表後の1991年1月に和田春樹を平壌に招待しており、和田春樹は著書『金日成と満州抗日戦争』(平凡社、1992年)の前書きに「私の論文を読んで平壌に招いて下さった黄長燁先生と討論して下さったヒョン・ドゥヒョク、チェ・ジンヒョク先生たち……に深く感謝したい」と記している。萩原遼は、「黄長燁らはこれ(『思想』)にも当然目をとおしている。そのうえで乏しい外貨事情のなかから和田氏を平壌に招き、ごちそうし、歓待した。その意図は明白である。和田氏になにかを期待しているのである。彼らがタダ飯を食わせることはけっしてない」「和田氏の一連の著作が平壌政権にとって好ましいからである。朝鮮戦争についての和田氏の『研究』なるものが他愛もないもので、北朝鮮にとって痛くもかゆくもないどころか、むしろ彼らにとって好ましいものであることはすでにのべた。この線で大いにやってほしいということであろう」として、黄長燁が和田春樹を平壌に招待した1991年1月は、ベルリンの壁崩壊とニコラエ・チャウシェスクが処刑された1年後に当たり、「北の最大の後楯であるソ連の崩壊のはじまりという北朝鮮にとって存亡の危機の時期」であり、「その時期に乏しい外貨を割いて北朝鮮が和田氏を招いたのは、彼らの生き残りをかけた必死の工作の一環」であると指摘している。
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