和久半太夫とは? わかりやすく解説

和久半太夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:50 UTC 版)

忠臣蔵」の記事における「和久半太夫」の解説

和久半太夫(わくはんだいふ、はんだゆう)は上杉家仕えたとされる剣客(だが、本当実在しない)。 和久半次郎(後の和久半太夫)は12歳のときから作州津山森大内記(もりだいないき)に仕えていた。あるとき、大内記小姓達を集めて肝試しをしようと、打ち首にした悪人五人さらし首に印をつけてくるものは誰かいないかと言った半次郎はこれに志願褒美脇差先に貰ってさらし首元へと赴き、さらし首に印として1つ1つ煎餅をくわえさせていく。しかしさらし首の数は5つ聞いていたのになぜか6つあり、しかも最後1つの首はパリパリ煎餅食べてもうひとつ煎餅をよこせ」と言い出した半次郎妖怪の類だと思い、首を斬りつける。 実は6つ目のさらし首半次郎の事を妬んだ長澤という男が、半次郎脅かそうさらし首のふりをしているだけだった半次郎斬りつけられた繁は、三日後に死んでしまったが、この件は繁不心得という事半次郎にはお咎めがなく、むしろ度胸示した半次郎の名があがった。 その一年後半次郎の父・半十郎何者かに斬り殺されてしまう。半次郎は頼る者も無かったので母とともに江戸出てきて、剣術指南看板出して生計立てたが、何分半次郎まだ子供だったため、習いにくるものは少なかった江戸出てからというもの、半次郎の母「おみさ」に徳右衛門という浪人懸想していたのだが、ある時おみさが徳右衛門になぜ浪人したのかと聞いてみたところ、徳右衛門は「昔、半十郎(つまり半次郎の父)という男を斬り殺した為に国に入れなくなり浪人したのだ」と答えた。国から遠く離れた江戸でまさか半十郎親族に会うとは思わず、つい話してしまったのだ。聞けば右衛門半次郎に斬られた長澤の父に頼まれ、半十郎斬り殺したのだという。 おみさからこの話を聞いた半次郎は、徳右衛門一刀両断して仇討ち遂げる。これにより半次郎の名は高まり半次郎道場入門者であふれかえった半次郎この頃名前を半太夫に名を改める。 その後半次郎改め半太夫は、四谷寺町付近に現れ妖怪一刀両断する。妖怪正体小牛ほどもある大きなだった。 こうして名を高めた半太夫上杉家召抱えられ、吉良家付き人になった。 そして赤穂浪士討ち入りの夜、半太夫奮戦した後、武林唯七討ちとられた。

※この「和久半太夫」の解説は、「忠臣蔵」の解説の一部です。
「和久半太夫」を含む「忠臣蔵」の記事については、「忠臣蔵」の概要を参照ください。

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