各局からの日本語放送
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 00:38 UTC 版)
かつての日本語放送は済州のHLAZ(旧:HLDA)の他にも、フィリピンのマニラ(マニラ・コーリング、後のマニラ・エコー)、アメリカのサンフランシスコ(友情の声:呼出符号KGEI)からも放送されていた。この頃は、単に「FEBC」と言うとマニラからの放送を指すことが多かった。当時、番組は東京・御茶の水のスタジオで録音され、番組テープが各局に空輸されていた。当時の放送時間(JST)は、KGEIが17時~18時と20時~21時(再放送)、マニラが19時~20時と22時~23時(再放送)、済州のHLDA(当時)が当初は0:40~1:35、のちに21:30~22:30で、1日あたり再放送を含めて合計6時間のFEBCの番組が日本宛に日本国外3拠点から送信されていた。 1980年ごろ(本放送開始は1981年頃)に友情の声:KGEIはサンフランシスコから生放送を再開した。同局アナウンサーの金子耕弐夫妻が現地に赴任して生放送を行った。その際にはお便りに対して、Love Love Cardという現地の絵葉書が発行されていた。 また、フィリピン、アメリカからの放送が廃止された後の1986年ごろにはサイパン島のKFBSが日本語放送を開始したが、こちらは宗教色を控え「コンテンポラリーミュージックステーション」という音楽専門に近い内容の放送が、日本時間の夕方(当初は16:30-18:00、後に17時スタートに短縮変更された)に行われたが、僅か数年で廃止された。
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