台湾・東京・大村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/19 05:06 UTC 版)
日清戦争から凱旋した西久保は、明治29年3月12日台湾守備歩兵第1連隊附を命ぜられ、同20日に第9中隊に配属される。4月4日に現地に就くが、同日台湾守備第12中隊付に変わる。同年7月25日に大隊副官代理を拝命し、8月27日から花蓮港の守備にあたる。同9月11日に東京の歩兵第1連隊附を命ぜられ、10月26日東京に着く。第5中隊に配属された後、再び第1師管軍法会議判士を命ぜられる。明治30年9月には予備役見習士官終末試験委員を経験し、同10月25日大村の歩兵第46連隊附を命ぜられる。同12月に歩兵大尉に進級し、第6中隊長に就任。動員計画委員・教育規定改正委員・選科国語漢文教官を経て明治34年8月10日射撃学生として陸軍戸山学校入校を命ぜられ、同12月24日終業する。この間明治32年4月6日に同郷の佐賀県士族石井忠男の長女秀(ヒデ)と結婚し、翌年7月8日には長男豊成が生まれる。明治35年1月27日に歩兵第46連隊副官を命ぜられ、第6師団乗馬委員や大村に於ける将校乗馬委員を経験する。
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