古流柔術における柔の理とは? わかりやすく解説

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古流柔術における柔の理

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 18:09 UTC 版)

講道館」の記事における「古流柔術における柔の理」の解説

古流柔術伝書においては、柔の理はしばし歌など託されたりして抽象的に表現されている。例え楊心流では「降るを見れば積もらぬさきに打ち払え、風ある雪折れはなし」「乗り得ては波に揺らるる蜑小舟、ただ浦々の風にまかせて」といい、起倒流では「我が力をすて敵の力をもって勝つ」と説き天神真楊流では「身体をして心の欲するところに従順ならしむ」と説いている。 正徳年間(1711-1715年)に記され日夏繁高による『本朝武芸小伝』においては「柔にして敵と争わず。しばしば勝たむ事を求めず虚静を要とし、物をとがめず、物にふれ動かず、事あれば沈みて浮かばず、沈を感じると云ふ」とされている。 また「敵の動き先立つ気を読み、気のコントロールによって敵と力を合わせず、敵の気の外れの虚をついて制する」という様な、力の衝突のない滑らかな動き様を形容し言葉であり、さちに本体そのもの現す安定感無形さを形容し言葉であると考えられた。従って「柔能制剛」とは、「気を扱う者が、力の勝負をする者に勝つ」という意味となるとされる。 これらの古流柔術における「柔の理」は、嘉納の言う「柔の理とは、相手が力を用いて攻撃し来る場合我はこれに反抗せず、柔に対手の力に順応して動作し、これを利用して勝ちを制する理合」と合致するとされる

※この「古流柔術における柔の理」の解説は、「講道館」の解説の一部です。
「古流柔術における柔の理」を含む「講道館」の記事については、「講道館」の概要を参照ください。

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古流柔術における柔の理

古流柔術甲冑を着用しない柔術おおむね江戸時代に発達した柔術である。甲冑を着込んで、甲冑を着た相手と戦うことを想定していない場合が多い。しかし例外とする流派もある。甲冑兵法・甲冑柔術概ね戦国時代までに発達した甲冑を着込んでの柔術である。戦国時代の合戦場や戦場で柔術を使うことを念頭においている。武器を用いて、または武器が無い状態での柔術である。甲冑を着込まない柔術との違いは相手も甲冑を着込んでいるために突きや蹴りはあまり有効技ではないために突きや蹴りより関節技や投げ技や武器技が主体となっている。甲冑を纏うために身軽さや身体の自由自在さを維持するためにより少ない動作や少ない体力の消費で最大の効果を得る様に技が作られている。また戦場では1対多数が当たり前のために1対1の戦いでも常に周囲に気を張り、多数相手に動けるようにしておくという点にもさらに比重が置かれる。実際に甲冑を着込み練習もする。口伝や書物にだけ残っている場合もある。現存する甲冑柔術には東北に伝播した中で柳生心眼流甲冑柔術が存在する。実際に甲冑を着込んでの技の練習もしている。また起倒流では水野忠通『柔道秘録』によれば、甲冑を実際に身に着けて行なう組討の形が五つあり、相手を組み敷き短刀で首を取る形や組み敷かれた時に短刀で反撃する方法の伝承もあるとされている。古流柔術以外の柔術

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