古代は伊勢神宮の神領・大沼鮎沢御厨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/19 01:31 UTC 版)
「藍沢原」の記事における「古代は伊勢神宮の神領・大沼鮎沢御厨」の解説
この地域は、駿河国(静岡県)と相模国(神奈川県)を繋ぐ足柄坂(足柄峠)と、駿河国(静岡県)と甲斐国(山梨県)を繋ぐ加古坂(籠坂峠)の分岐点にあたっており、古代から東海道の交通の要衝とみなされてきた。 平安時代には伊勢神宮の御厨(荘園)で、10世紀か、遅くとも11世紀初頭には「大沼鮎沢御厨」として成立していたとみられる。御厨の成立時期を嘉承年間(1106年-1108年)と比定する説もある。建久3年(1192年)8月の伊勢神宮の文書には領家職を勤めた「神祇権少親広」の名がある。嘉暦2年(1327年)の神領の禅譲状では「するかの国あいさハの御くりや」となっている。伊勢神宮領の範囲は駿東郡の89ヶ村にわたり、御殿場市東部、小山町南部、裾野市北部にまたがっていたと推定される。 町村制施行によって明治22年(1889年)に自治体が誕生する際、一帯の村々が合併し、古代の大沼鮎沢御厨に因んで「御厨町」と称した。大正3年(1914年)に、徳川家康の遺体を安置する御殿があったことに由来する「御殿場町」に改称、その後、御殿場市となった。
※この「古代は伊勢神宮の神領・大沼鮎沢御厨」の解説は、「藍沢原」の解説の一部です。
「古代は伊勢神宮の神領・大沼鮎沢御厨」を含む「藍沢原」の記事については、「藍沢原」の概要を参照ください。
- 古代は伊勢神宮の神領大沼鮎沢御厨のページへのリンク