古代から平安時代まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 07:29 UTC 版)
古代日本に統一国家が成立する前には、上越地方は越国に属していた。しかし、ヤマト王権が中央集権国家を成立させると、越国とヤマト王権の連合軍が米山以東に支配圏を伸ばし、越国は越前・越中・越後・佐渡に分割された。 「越後」という名称が歴史に初めて登場する時代に、現在の上越地方にあたる頸城郡は成立した。頸城郡ははじめ越中国に属したが、後に越後国に編入された。その後、現在の上越市内に越後国の国府と国分寺が置かれ、越後における政治と文化の中心地となった。また、畿内からの入植を示す地名として、春日山がある。 奈良時代には平城京へ魚などの奉納物を運ぶために東北から九州にわたる輸送経路が築かれ、陸運や海運が発達し交流が活発化した。現在の上越市域は日本海側の重要地域の一つであった。
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