古代から江戸期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 14:42 UTC 版)
縄文前期(B.C.7000 - 6000年代)の土器が種子島と共に出土する(塞ノ神式土器)。縄文中期以降は弥生時代に入るまで遺跡が見られず、この時期激しい火山活動があったのではないかと推定される。弥生時代の遺跡も多少出土する。飛鳥時代から平安時代まで掖玖(屋久、屋久島)の支配下にあったと推定される。1408年(応永15年)に漸く「恵良部」(口永良部島)とし史料に初出する。戦国期の抗争(禰寝氏、種子島氏、島津氏)を経て島津氏の支配下となる。史料上大隅国と確定するのは1702年(元禄15年)編纂の「元禄国絵図大隅国」である。なお、屋久島と同時期に多禰国となり後大隅国となったのか、もしくは多禰国が大隅国に編入されて後にこれに加えられたのかは定かではない。
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