包括的医療制度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/19 13:11 UTC 版)
「カナダの医療」および「ユニバーサルヘルスケア」も参照 ダグラスが最も重要視した政策は、公衆医療政策に関連するものだった。1962年に導入された包括的医療保障制度は、多くの論難を呼び起こし、医師達のストライキを呼び起こすこととなった。医師達は、同制度が自分達の収入の大幅な減少と、政府による医療に対する過剰なまでの干渉を懸念していたが、同制度の導入前は、州の人口の60%から63%しか民間もしくは公的な医療保障を受けることが出来ていなかった。 このような政策は、ダグラスの後継者である、ウッドロウ・ロイドによって継承され、1958年に首相に就任したジョン・ディーフェンベーカーは、サスカチュワン州以外の地域でも、同制度を導入する場合は、費用の50%を連邦政府の補助金によって賄われる、といった法案を制定した。1964年には、最高裁判所が同制度を国家全体で制定するよう勧奨し、1966年にはレスター・B・ピアソン首相によって、費用の50%を連邦政府が負担し、残りを地方政府が負担するといった公衆医療政策が実施されるようになった。
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