動力飛行の試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/20 10:04 UTC 版)
「オットー・リリエンタール」の記事における「動力飛行の試み」の解説
墜落死の直前期、リリエンタールが動力機の開発に取りかかっていたことは有名である。しかし彼が飛ばそうとしていたのが固定翼機ではなくオーニソプターの一種であったことはあまり知られていない。それは炭酸ガスエンジン(圧縮空気エンジン)を動力としていた。特許取得(1893年)の後、1号機(1894年)と2号機(1896年)が作られた。前者は2馬力の小型機で、後者はその大型化版(翼面積20平方メートル)であった。彼の死の事情を正確に言うと、有名な墜落が起きたのは2号機で動力飛行を試みる前、エンジンを外した状態で滑空試験をしている最中のことであった。 「もしも1896年の墜落事故がなければ、人類初の動力飛行は、ライト兄弟の登場を待つことなくリリエンタールによって成し遂げられていただろう」という論調がかつては有力だった。しかし彼の動力機がオーニソプターであったことから、今日ではその考えは疑問視されている。むしろ、ライト兄弟がリリエンタールの死をきっかけとして自ら飛行機開発に乗り出したそれが人類初の動力飛行を早めたものと言えるかも知れない。 オットーの弟・グスタフ(彼は主に初期の頃、実験の協力者であった)はオットーの死後、その後をついでオーニソプターの研究開発に取り組んだ。グスタフは1933年に病死するまでそれを継続したが、さしたる成果は得られなかったという。
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