労務状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/03 19:01 UTC 版)
外務省報告書の移入集団別素質によると、集められた華人労務者の75%が農民で年齢は15歳~60歳位であり、日本全国の135事業所に38,935人が送られ、6,830人が死亡したとされる。 三井鉱山砂川事業所の炭鉱の例では昭和20年に命令に従わない中国人を係員が日本刀で脅したり、制裁を加えたこともあったとされる。現場の管理は華労指導員(中国人)がおこなっており、日本人が直接「制裁」をした例は希であった。 秋田県北秋田郡花岡町の花岡鉱山の例では、工事を請け負っていた鹿島組の元で、劣悪な環境で働かされていた中国人986人中、1945年6月までに137人が死亡した。残りの労働者達は6月30日の夜、中国国民党将校であった耿諄を指導者として800人が蜂起し、日本人補導員4人などを殺害し逃亡した。しかし7月1日、憲兵、警察、警防団の出動により鎮圧された。その後、釈迦内村(現大館市)の獅子ヶ森に籠っていた多数の労働者も捕縛され、最終的に拷問を受けるなどして総計419人が死亡した。
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