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加藤怜三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/14 14:45 UTC 版)

加藤 怜三
生誕 1887年12月15日
日本 東京府
死没 (1968-09-29) 1968年9月29日(80歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1911年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
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加藤 怜三(かとう れいぞう、1887年明治20年)12月15日[1] - 1968年昭和43年)9月29日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。

経歴

1887年(明治20年)に東京府で生まれた[1]陸軍士官学校第23期、陸軍大学校第34期卒業[1]1934年(昭和9年)に工兵第16大隊長に就任し[2]1935年(昭和10年)8月に陸軍工兵大佐に進級した[2]1936年(昭和11年)6月1日に工兵第16連隊長となり[2]8月1日陸軍工兵学校教官を経て[2]1937年(昭和12年)3月に工兵監部員に就任した[2]

1938年(昭和13年)7月15日に陸軍少将に進級し[2]中部防衛参謀長に着任[1]1940年(昭和15年)3月に支那派遣軍総司令部附となり[1]、9月に第11工兵隊司令官(第11軍[1]1942年(昭和17年)3月に第3工兵隊司令官(関東軍第3軍)を歴任[1]。同年4月に陸軍中将に進級し[2]1943年(昭和18年)10月29日第25師団長に親補された[1]福岡県西部に布陣し、本土決戦に備えた[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]

栄典

勲章

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 福川 2001, 218頁.
  2. ^ a b c d e f g 外山 1981, 294頁.
  3. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」53頁。
  4. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 



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