劉子羽神道碑とは? わかりやすく解説

劉子羽神道碑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 06:02 UTC 版)

朱熹」の記事における「劉子羽神道碑」の解説

『劉子羽神道碑』(りゅうししんどうひ、全名は『宋故右朝議大夫充徽猷閣待制贈少傅劉公神道碑』)の建碑淳熙6年1179年)で、朱子の撰書である。書体はやや行書に近い穏健端正な楷書で、各行84字、46行あり、品格高く謹厳な学者風趣表れている。篆額張栻の書で、碑の全名21字が7行に刻されている。張栻優れた宋学思想家で、朱子とも親交があり、互いに啓発するところがあった人物である。碑は福建省武夷山市坑にある劉子羽の墓所現存する拓本は縦210cm、横105cmで、京都大学人文科学研究所所蔵され、この拓本では磨滅少ない。 劉子羽(りゅう しう、1097年 - 1146年)は、軍略家。字は彦脩、子羽は諱。徽猷閣待制に至り没後には少傅追贈された。劉子羽の父は靖康の変に殉節した勇将・劉韐(りゅうこう)で、劉子の子の劉珙(りゅうきょう)は観文殿大学士になった人物である。また、劉子羽は朱子の父・友人であり、朱子恩人でもある。朱子14歳のとき他界しているが、朱子は父の遺言によって母とともに劉子羽を頼って保護受けている。 劉珙が淳熙5年1178年)病に侵されるに及び、父の33回忌過ぎても立碑できぬことを遺憾とし、朱子撰文請う遺書書いた朱子恩人の碑の撰書に力を込めたことが想像される

※この「劉子羽神道碑」の解説は、「朱熹」の解説の一部です。
「劉子羽神道碑」を含む「朱熹」の記事については、「朱熹」の概要を参照ください。

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