創設・ポーランド戦・フランス戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 17:16 UTC 版)
「第2SS装甲師団」の記事における「創設・ポーランド戦・フランス戦」の解説
ポーランド戦には親衛隊特務部隊は一つとしてまとまった形ではなく、いくつかの陸軍部隊に分散されて最初の戦火を経験した。ポーランド戦が終了した1939年10月10日、ようやく親衛隊特務部隊は一つにまとめられ、SS-VT 師団(SS特務師団)が設立された。その構成はSS連隊ドイッチュラント(SS-Standarte Deutschland)、SS連隊ゲルマニア(SS-Standarte Germania)、SS連隊デア・フューラー(SS-Standarte Der Führer)、通信大隊、偵察大隊である。 フランス戦にSS-VT 師団としてロッテルダム攻撃に加わり、ロッテルダム攻略後、師団は他の師団とともに、連合軍をオランダ・ゼーラント周辺に押し込む任務を受けた。次に、陸軍部隊が制圧した地域で一部残る抵抗拠点を潰す任務を受けた。師団は、フランスに移され、強固に防御された運河を突破する支援を行い、パリへの進軍に参加した。戦いの終わりには、部隊はスペインとの国境近くまで前進していた。 フランス戦後に、部隊は名称をSS-VT 師団から、SS師団ライヒ(SS-Division "Reich")と変更した。フランス降伏後、師団はイギリス英本土侵攻のためにフランスに留まったが、英本土侵攻作戦の延期により、1941年、師団はユーゴスラビア・ギリシア侵攻のためのマリータ作戦準備にルーマニアへ移動した。
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