副総統候補者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 16:19 UTC 版)
「1948年中華民国総統選挙」の記事における「副総統候補者」の解説
単純に決定した総統に対し、副総統選挙では複雑な経過を辿ることになる。1948年4月20日の副総統立候補者受付までに李宗仁、孫科、程潜、于右任、莫徳恵、徐傅霖の6名が立候補した。(前者4名は国民党、徐傅霖は中国民主社会党、莫徳恵は無所属) 中国国民党 孫科 于右任 李宗仁 程潜 立法院長 監察院長 陸軍一級上将 副参謀総長 中国民主社会党 無所属 徐傅霖 莫徳恵 蔣介石は自らが軍人出身であったため、副総統には文人を選出し均衡を図ろうとした。これに対し李宗仁が軍人出身であり、蔣介石と対立した桂系出身であり蔣介石は李宗仁の立候補には強く反対した。しかし李宗仁は日中戦争期間中に大きな戦功を残し、政界より強く支持を受けていたため蔣介石も立候補断念を迫ることもできず、孫文の長子であり、前行政院院長、当時国民政府副主席の孫科を自ら副総統候補に推薦した。
※この「副総統候補者」の解説は、「1948年中華民国総統選挙」の解説の一部です。
「副総統候補者」を含む「1948年中華民国総統選挙」の記事については、「1948年中華民国総統選挙」の概要を参照ください。
- 副総統候補者のページへのリンク