利休との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 01:25 UTC 版)
天正13年。信長は本能寺の変で横死し、秀吉が天下を継承しつつあった。専好は修行の旅に出て行方知れずとなった専伯の代わりに頂法寺の執行を務めることになり、大名屋敷に呼び出され生け花を指南する多忙な日々を送っていた。ある日、大名屋敷から帰る途中で専好は河原の遺体に花を手向け冥福を祈っていたが、遺体だと思っていた少女が生きていることを知り、頂法寺に連れて帰る。少女は食べ物も食べず口も利かなかったが、専好が取ってきた蓮を見た途端、一心不乱に蓮の絵を描き始める。それを見た専好は喜び、少女も次第に心を開くようになった。専好は少女に「れん」という名前を与え、浄椿尼の元に預けて絵を学ばせる。半年後、専好は幼馴染の吉右衛門の依頼で生け花を生け、その生け花を偶然見かけた千利休は、専好を茶室に呼び彼を持て成す。二人は岐阜城で一度会っていたが、物覚えの悪い専好は利休のことを覚えていなかった。専好は利休の侘びの持て成しに心を解きほぐされ、執行の多忙さで花を生ける楽しみを失っていたことを告白し、花を活ける楽しさを思い出す。一方、秀吉は利休の侘びを理解しようとせず、内裏で帝を喜ばせるための黄金の茶室を作るように利休に命じる。 天正15年。専好は浄椿尼の元から姿を消したれんの行方を気にしていた。れんには公家の三条家から絵師として雇い入れるという話があっただけに、浄椿尼は彼女の身を案じる。暫く後、山奥の洞穴でれんを見つけた専好は、彼女が山籠もりで絵の腕に磨きがかかったことを知り喜び、小屋を与えて絵を描き続けるように手配する。同じ頃、秀吉は京や全国の人々を集めて北野大茶湯を開催し、自ら黄金の茶室で人々を持て成して権勢を誇示する。専好は利休から「花を生けて欲しい」と依頼され、吉右衛門と共に北野大茶湯を訪れる。専好は利休の茶の湯を色とりどりの花で飾り人々を喜ばせるが、利休の元に人々が集まり黄金の茶室よりも利休と専好を称賛する人々を見た秀吉は気分を害し、北野大茶湯を1日で終了させてしまう。この件を機に、秀吉は次第に利休を疎んじるようになっていく。
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