初期の爆弾事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 02:49 UTC 版)
「セオドア・カジンスキー」の記事における「初期の爆弾事件」の解説
カジンスキーの最初の郵便爆弾は、ノースウェスタン大学で材料工学を研究する教授のバックリー・クリストを狙ったものだった。1978年5月25日、差出人住所がクリストのものになっている小包がイリノイ大学シカゴ校の駐車場で発見された。郵便物はクリストに「返却」されたが、彼はそんな荷物を出しておらず、不審に思ってキャンパスの警察に連絡を入れた。警察官のテリー・マーカーが郵便を開封すると爆発が起こり、彼は左手を負傷した。 小包の中身は、木の箱にはいった直径1インチ (2.5 cm)長さ9インチ (23 cm)の鉄パイプで穴には無煙火薬が詰められていた。箱とパイプの両端の栓はいずれも木製で、手作りされたものだった。パイプ爆弾のほとんどは、市販で容易に手にはいる金属ねじで端に栓がされている。しかし、栓が木製だと内圧を強烈に高めるのに必要な強度がなく、爆風がむしろ弱くなってしまう。起爆装置は単純である。ゴムバンドで引っ張られたくぎが、箱を開けると、6本のマッチの頭薬を叩く物だった。それでマッチには火がつき、火薬が燃焼する。その後カジンスキーは、火薬にもっとうまく引火するように、電池とワイヤ状の熱フィラメントを使っている。 カジンスキーは、1978年5月の爆弾送付のためにイリノイ州に帰ってきており、フォームラバー工場で働く父と弟の手伝いのため、しばらくこの地に滞在していた。しかしこの年の8月に弟によって解雇された。理由は、カジンスキーが短期間だけ交際していた女性の指導主事のことを侮辱するような詩を書いたことだった。この女性の指導主事はカジンスキーのことを「頭がよくて、もの静か」だったと回想しているが、交際についてはほとんど記憶がなく、恋愛関係にあったことは一切ないとはっきり否定している。
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