初期の歴史と開拓
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「モンゴメリー郡 (インディアナ州)」の記事における「初期の歴史と開拓」の解説
モンゴメリー郡となった地域に住んだ初期住人はマウンドビルダーと呼ばれるインディアンであり、大型の土盛り塚を造った。そのうちの2つが郡内南東部のフランクリン郡区にある。その後インディアンは少なくとも1832年まで地域を支配していた。 地域に入ってきた最初の白人開拓者はテネシー州出身のウィリアム・オフィールドであり、1821年に妻のジェニーと子供1人を連れ、クロウフォーズビルから南西に約5マイル (8 km)、オフィールド・クリークとシュガークリークが合流する地点近くに入植した。郡内で最初に政府が販売した土地は、1822年7月23日にジョン・ループに売られたスコット郡区の土地だった。その後の月日にさらに多くの土地が売られ、その大半はユニオン郡区にあった。開拓者はオハイオ州やケンタッキー州から移ってきた者が多く、またテネシー州、バージニア州、両カロライナ州から来た者もいた。 モンゴメリー郡は1822年12月21日にインディアナ州議会で成立した法により設立され、郡域を設定し、その政府組織を与えていた。郡名はアメリカ独立戦争の将軍であり、1775年12月31日にカナダのケベック市を攻撃中に戦死したリチャード・モントゴメリーに因んで名付けられた。郡で最初の選挙は1823年3月1日に行われ、61人の有権者が投票して、3人の郡政委員にウィリアム・オフィールド、ジェイムズ・ブレビンス、ジョン・マッカルーを選出した。郡政委員はまず監獄と郡庁舎を建てることにした。 1824年12月24日から数日間、クロウフォーズビルのノースウォーター通りで、アメリカ合衆国土地管理局によって大々的な土地の売却会が開かれた。多くの区画が競売で売却された。これで上がった収益金は大半が金と銀であり、樽に詰められ、ルイビルまでは荷馬車で運ばれ、オハイオ川を遡る船に積まれて、最終的にはワシントンD.C.まで運ばれた。その後の時代に開拓地が増えていった。
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