初代 淀屋常安とは? わかりやすく解説

初代 淀屋常安

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/09 03:49 UTC 版)

淀屋」の記事における「初代 淀屋常安」の解説

淀屋常安(よどやじょうあん、つねやす) 永禄3年1560年)? - 元和8年7月28日1622年9月3日二代當の父である。長子養子喜入右衛門は、常安町家斉藤町家の家祖次子実子)常有五郎左衛門は、大川町家の家祖となった山城国岡本荘の武家出身だったが、織田信長討たれ商人目指すようになった苗字出身地岡本通称三郎右衛門、名を与三郎、のちに善右衛門とした。隠居し仏門に入ってからは常安の号を名乗った。なお前期淀屋歴代当主三郎右衛門名乗った伏見城大手門工事現場周辺散在する巨石撤去を他の業者の1/10の価格引き受け掘った穴に滑り落として埋める、という周囲意表を突く方法解決した事を豊臣秀吉目を付けた事が豪商となる第一歩であった常安請地として中之島開拓手掛け大阪大学医学部跡地旧町名である常安町、常安橋名を残している。大坂三郷(北組・南組・天満組)のうち北組の惣年寄担った大坂の陣においては徳川方支持した大坂冬の陣では茶臼山岡山陣屋徳川家康徳川秀忠提供し徳川方の兵には食料提供した。その功績家康認められ褒美として山城国八幡山林田地300石の土地与えられ名字帯刀許された。大坂夏の陣終わった後には戦の後始末願い出亡くなった兵の供養大量武具処分した事でも利益得た墓所大阪大仙寺

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