初代ビスタコーチ (KDD-60)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 04:04 UTC 版)
「ビスタカー」の記事における「初代ビスタコーチ (KDD-60)」の解説
1960年(昭和35年)、近鉄は日野自動車と近畿車輛の協力を得て、日本初となる2階建バス「ビスタコーチ KDD-60型」を開発。シャーシはセンターアンダーフロアエンジンの日野・BDをベースに日野自動車初のリヤエンジン方式とし、エンジンはDS40改型(150HP)を採用。1台を大阪市内(本町四丁目・上本町六丁目)と石切神社前を結ぶ路線(枚岡線)に導入した。 のちに登場する2階建バスとは異なり、前部・後部は一般のバス同様の構造で、ホイールベース間のみが2階建てになっており、乗降口(ノンステップ構造)はその2階建部分の中央に設けられていた(つまり車掌が乗務するツーマン運行であった)。2階席へはいったん後部客室に上り、さらに階段で2階席に上る方式であった。乗客定員は座席のみ(補助席含む)で83名を確保した。全高は当時の法規制により3.5mに抑えられていた。 ステップドルーフの形状は、これもやはりアメリカのグレイハウンドラインに1954年から導入され人気を博していた、レイモンド・ローウィのスタイリングによる、ゼネラルモーターズ (GMC) のシーニクルーザに見られる。しかし、2階席をドーム風に仕立てたことと、1階席を設けたところが近鉄流であった。
※この「初代ビスタコーチ (KDD-60)」の解説は、「ビスタカー」の解説の一部です。
「初代ビスタコーチ (KDD-60)」を含む「ビスタカー」の記事については、「ビスタカー」の概要を参照ください。
- 初代ビスタコーチのページへのリンク