刑法典論争との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
ボアソナードが起草した旧刑法は、1882年(明治15年)1月1日から実施されていたが、早くも1884年(明治17年)には改正に着手され、明治40年4月24日法律第45号をもって結実した(現行刑法)。 新刑法自体は当時の学問・社会状況を反映したものだが、実施後すぐ改正に着手された理由や、民法典論争との関係は不明。とりわけ実施直後の改正事業は、単に法典形式の整理に過ぎなかったとも論じられている(中心人物はボアソナード)。 明治維新は絶対主義革命だったとする講座派史観を正面から肯定する刑法学者も、現行刑法典は主に独刑法を参考に実務の経験に基づいて旧刑法を改善したもので、絶対主義とは無関係と論じている(西原春夫)。 改正事業が施行直後から開始されたにもかかわらず、旧刑法がそれほど不出来ではなく、諸外国も満足したため、急速に進展しなかったのは自然であった。
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